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日本の経済思想史家シリーズBIOGRAPHIES OF JAPANESE SCHOLARS OF ECONOMIC THOUGHT

(6)貝原益軒(かいばら えきけん 1630-1714) 

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 筑前国福岡に生まれた。医学や数学などの自然学に親しみ、さらに朱子学を中心とする儒学をも修めた。観念的な議論を嫌い、経験や観察を重んじて、博物学の分野で業績を残した。また、福岡の黒田家に仕え、藩政に対する建言を行ったこともある。経済に関しては、士農工商各々の役割と職分を説いた。著作は、『大和本草』『養生訓』『慎思録』『大疑録』など。

(肖像は『人物日本の歴史 13』(小学館, 1993)より)  


(5)二宮尊徳(にのみや そんとく 1787-1856) 

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 相模国栢山村(現・小田原市)の農家に生まれる。少年期に両親が死去し、家産を失ったが、自己の労働により、二十歳の頃、家を再興した。その後、手腕が評価され、旗本宇津家の下野国桜町領や日光神領などの復興を依頼され、その実行に関与した。幕府にも登用された。また、明治以降は修身教育の題材とされ、全国の小学校校庭に二宮金次郎像が建てられた。著作は『三才報徳金毛録』など。

(肖像は『人物日本の歴史 14』(小学館, 1975)より。二宮尊徳先生幼時之像は西東京市立保谷小学校)  


(4)山鹿素行(やまが そこう 1622-85) 

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 会津若松生まれ。幼い時に江戸に移り、修学。朱子学を批判した古学派儒学の先駆者の一人。当時は、兵学者として世に知られていた。武士として、農工商民の社会的有用性を肯定的に評価する一方、泰平の世において曖昧になってしまった武士の社会的存在意義を自問自答した。著作は『聖教要録』『山鹿語類』『中朝事実』『武家事紀』など。

(右上の素行像は、石岡久夫『山鹿素行兵法学の史的研究』玉川大学出版部,1980 より。墓は東京都新宿区の宗参寺)  


(3)広瀬淡窓(ひろせ たんそう 1782-1856) 

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 豊後国日田郡豆田町の商家に生まれる。子供の頃から学問好きで、筑前国福岡の亀井南冥(1743-1814)・昭陽(1773-1836)の門に学んだこともある。家業は継がず、1805年塾を開き、その後、生涯にわたって教育に従事した。咸宜園は1817年に新築した塾。著作は『約言』『析玄』『迂言』など。

(右上の淡窓像・咸宜園絵図は「史跡咸宜園跡」で見られる)  


(2)田中休愚(たなか きゅうぐ 1662-1729) 

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 武蔵国川崎宿本陣の当主、同宿の名主・問屋役。50歳の頃、儒者荻生徂徠(1666-1728)に入門、成島道筑(1689-1760)とも親交を結んだ。代表的著作は60歳で脱稿し、将軍徳川吉宗(1684-1751)に献上された『民間省要』。62歳の時、幕府から御普請御用に登用され、最晩年には、三十人扶持の支配勘定格となり、三万石支配を命じられた。

(右上画像は、田中丘愚・村上直校訂『新訂民間省要』有隣堂,1996 より)  


(1)熊沢蕃山(くまざわ ばんざん 1619-91) 

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 江戸時代前期の儒学者。岡山藩の藩政に深く関わり、治山・治水・新田開発等民政に業績を上げた。「天人合一」にみられる自然観、実践思想としての「時処位」論など独自の思想を展開した。著作は『集義和書』『大学或問』など。

 


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